あの橋はまだあった 「戦車旅団」(1955 チェコスロバキア)

 

戦車映画の最高峰?

この映画が作られたのは1955年。第二次世界大戦が終わり10年経ったころだ。当時共産圏だったチェコスロバキアで作られた第二次世界大戦回顧のプロパガンダ映画である。ソ連は言うに及ばず共産圏にはこの種の映画は多数存在する。

日本では封切られることもなかった隠れた映画である。これが最近衛星放送で流されて多くの戦争映画ファンを「これは戦車映画の最高峰でないか」と驚かせることになった。

 

チェコスロバキア奪還のため進撃する戦車旅団。共産圏のプロパガンダ映画なので制作費などは無視。地平線まで車両や人員(そして飛行機や馬)を配置し、一幅の戦争絵画である。

 

戦車や兵器が実物

昔、戦車映画を作る上でいつも大問題になったのはどうやって戦車を用意するかということである。今ならCGでどうとでもなるが、昔はプロップ(模型なりレプリカなり)を制作して撮影するしかなかった。戦車を実物大で作ることは大事である。有名な戦車映画『バルジ大作戦』などは、連合国側もドイツ側も戦後のアメリカ戦車にマーキングをしたものを使っており、考証的には全くデタラメなのである。戦時中のソ連の戦車(主にT34)は戦後も多数残っていたので映画によく登場するが(但し戦後型のT34/85が使われることが多い)、ドイツは敗戦国なので大戦中の兵器を廃棄させられたので、実物のドイツ戦車を映画で使うことなど夢のまた夢・・・・。ところがチェコスロバキアにはドイツ軍撤退後に遺棄された兵器が多数あったため、『戦車旅団』では実物のドイツ戦車・兵器が多数登場するのだ。

 

実物の4号戦車がこんなに・・・・・

 

実物の市街地で撮影

チェコの都市オストラバを奪還するクライマックスシーンは、実物の市街地で撮影されている。この映画が封切られたのは戦後10年経ったころである。にもかかわらずオストラバの市街地はぼろぼろである。ぼろぼろにしたのはナチス・ドイツではなく、この街が工業地だったので連合軍が爆撃した結果だ。建物が黒く塗られているのは空襲対策の名残であろう。

この映画のために街を再び壊したというわけではないだろうから、戦後ヨーロッパの復興がいかに大変であったかという現実が見て取れる。

 

工場敷地内に突入するチェコスロバキア側T34戦車

橋を渡って市外に退却するドイツ軍

追うチェコスロバキア側

橋をめぐる激戦

橋に続く市街地はこの有様

T34「戦車旅団」到着

橋を渡って掃討に向かう

ドイツ側は橋の爆破を試みるが、レジスタンスの活躍により失敗

橋を渡る主人公の乗る一番車両

続々と押し寄せる掃討軍

 

 

ヨーロッパのおそろしさ

ヨーロッパでは数百年前の街が残っているなどごくありふれたこと。仕事で東欧に行く機会があったので、このオストラバという街に足を伸ばしてみた。果たして映画の舞台はそのままの姿で私の前に広がっていた。

 

橋どころか、周囲の建物、後方の教会の尖塔まで全く変わっていない。橋の向こう側が市街地。ドイツ軍はこの橋を手前に渡って撤退した。

 

 

 

 

渡った側は様変わりした。老朽化した建物はすべて取り壊され、整地されて幹線道路になってしまっていた。

 

 

 

そこにT34のモニュメントが。T34の部分は当然本物。わざわざ作らなくてもいっぱいあるから。

 

橋のたもとには橋を救った英雄の像が。この映画は史実に基いているのだろうか?それとも映画の内容を記念して作られたモニュメントなのだろうか?

 

橋に続く道。ここをT34が走っていった。かなり整備されたが、建物の半分は建て替えず昔のまま。

 

角にある特徴的な建物。映画の中ではぼろぼろで歴史的建造物でもないのに、なんと建て替えられずそのまま現存。

 

さすがに日本では建て替え命令が出るだろうね。

 

意図せずに残る歴史

戦後社会主義陣営に組み込まれたチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離)もソ連崩壊後急激に発展し、今では「普通の」ヨーロッパの国になった。しかしヨーロッパ人は「異常に」物持ちが良いので、戦時中の歴史も社会主義の歴史も映画の歴史も「意図せず」残り続けているのだ。有名な観光地もいいが、こんな誰も行かない街で歴史散歩するのも楽しいもの。

多分ここを映画の「聖地巡礼」で訪れた日本人は私が初めてじゃないかな?

 

 

 

 

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