嘘だらけのクワイ河橋 「戦場にかける橋」(1957 米)

 

映画は事実を語らない

たとえば時代劇。「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」が実在の人物を元に作った架空のキャラクターであることは多くの人が理解している。「現実とかけはなれている」と目くじらを立てる人がいれば、そいつが無粋なだけだ。しかし「眠狂四郎」や「座頭市」のように完全に架空のキャラクターではないので、時に誤解・混乱を引き起こすことがあるのは事実である。

映画は事実を語るものではない。ドキュメンタリー映画と言われるものでさえ、そこには必ず作り手の意図が込められている。

さて、「戦場にかける橋」(1957米)の話。アカデミー賞を総ナメにしたメジャー映画で、主題歌の「クワイ河マーチ」を聞いたことがない人はまずいないだろう。私は今年の夏タイ・カンチャナブリーにあるクワイ河橋を訪れた。その記念にこの映画を取り上げてみることにする。

 

原作者は「戦争じじい」

「戦争じじい」というのは私の造語である。私は1964生まれ。私の父は1934年生まれだから子供のころに終戦となり兵隊には行っていない。それより上の世代、つまり私の祖父の世代はかなりの割合で兵隊に行った経験を持っている。2013年の今、祖父の世代はあらかたは消えてしまったが、私が子供のころはもちろん大勢生き残っていた。こいうじじい達は仕事もせず暇なので、近所の子供をつかまえては聞きたくもない戦争の話を延々とし疎まれることになる。これが「戦争じじい」である。

ところが私は戦争じじいの話を聞くのが大好きだった。戦争じじいの話はとにかく大きい。たとえば「軍用船に乗ったことがある」という事実が「戦艦大和に乗っていた」程度には容易に拡大するのである。完全な嘘を朗々と話す人はただの気違いだが、戦争じじいの話は適当に実体験がまざっているので、「昔のことだから勘違いもあるだろう」と暖かく考えてあげれば良い。しかしこの「実体験をアレンジした話をさも現実のように朗々と話す」というのは一種の才能であり、この能力を著作に応用すれば一流のフィクション作家になれる。

「戦場にかける橋」の原作者はフランス人のピエール・ブール。戦争じじいの臭いがぷんぷんする。まず軍歴が判然としない。戦時中の経歴など詳細な裏がとれないのは当たり前。戦争じじいは話すたびに適当な尾ひれをつけるので話の整合性がとれないのだ。何にしても仏領インドシナ辺りで活動した人物らしいので、クワイ河橋(タイ・ビルマの国境辺り)の架橋には何ら関与していないであろう。関与していたら「戦場にかける橋」のような事実を無視した話が書けるはずはない。

 

ピエール・ブール

 

橋の名前すら違う

私も「クワイ河橋」と書いてはいるが、実はこの橋の正式名称は「メクロン河永久橋」であった。橋がかかっていたのはクワイ河ではなくメクロン河であった。「あった」というのは今ではどちらも改名されているからである。改名理由は映画「戦場にかける橋」が大ヒットしたため。つまり事実がフィクションにより修正されてしまったのだ。

先に断っておこう。私が「事実」としているのは主に「「戦場にかける橋」のウソと真実」(岩波ブックレットNo.69 1986年8月20日発行 永瀬隆著)に書いてある内容に基づいている。永瀬氏は1943年から1945年まで現地で陸軍通訳として勤めた方で、著作の客観性・論理性から「戦争じじい」とは考えられない人物である。

 

クワイ河橋周辺の地図

 

さて、クワイ河橋周辺の地図を見てみる。左上のDeath Railwayと書かれているところがクワイ河橋である。河は右下のMae Klong(メクロン河)と書かれた方向に流れている。これが本流であり、昔は全体がメクロン河と呼ばれていた。クウェー川(クワイ河)と書かれているのは実は支流で、右上方向に流れメクロン河に合流している。だから本来橋がかかっているのはメクロン河でありクワイ河ではない。架設者である日本軍はこの橋を「メクロン河永久橋」と称しているし、日本軍もそれ以外の建設従事者も「クワイ河橋」とは呼ばなかったはずだ。

それがなぜ「戦場にかける橋」では「クワイ河橋」となっているのか?簡単に言えば作者ピエール・ブールがいいかげんだったということである。なお、永久橋というのは仮設橋に対する言葉であるが、これは後ほど改めて話題にする。とにかく映画が大ヒットした後にメクロン河の合流点から上流はクワイ・ヤイ河に改名され、本来のクワイ河はクワイ・ノイ河に改名された。現在橋のたもとにある駅の名前は「RIVER KWAI BRIDGE」である。

 

似ても似つかぬ橋

現実のクワイ河橋と映画に登場する橋はあらゆる意味で似ても似つかない。外観を見ただけですべてがわかる。

 

映画「戦場にかける橋」に登場するクワイ河橋

 

現実のクワイ河橋(メクロン河永久橋) 2013年6月撮影

 

 
映画のクワイ河橋
 
現実のクワイ河橋(メクロン河永久橋)
構造・材質   生木の丸太を利用した木造橋   コンクリート橋脚を持つトラス鉄橋
架設場所   現場から脱走しても生きて帰れないほどの奥深いジャングル   タイランド湾から続く平野部の終端にある。もちろん戦時中は今ほど人口はなかったが、農村地帯でありジャングルというほどの場所ではない。北側は人口希薄な山岳地帯なのでそちらに向かうのは自殺行為だが、タイランド湾方面(南側)に向かうことはそれほど困難ではない。
設計者   主に英国兵捕虜   日本軍鉄道隊。もちろん英国兵捕虜は労働者として使われただけであり、設計には関与していない。
敷設者   主に英国兵捕虜   鉄道全体は日本軍指揮の下、多国籍部隊で敷設された。構成員はビルマ人(約90,000名)・マライ人(約75,000名)が最も多く、英国人(約30,000名)・オランダ人(約18,000名)・オーストラリア人(約13,000名)などが続く。決して白人捕虜のみで構成されていたわけではない。アメリカ人はわずか700名程度に過ぎない。日本側は約15,000名。鉄橋部の敷設に限った人員比率はわからないが、英国人主体であったはずはない。

橋の比較表

 

「戦場にかける橋」ではシアーズが脱走後北側に向かいアンダマン海に抜けたことになっている。河を上流に流され、山を越えたのだろうか?橋どころか周辺地理も全くでたらめである。

 

どうやって河を逆上った?

 

もう完全におわかりだと思う。「戦場にかける橋」はクワイ河橋を舞台にしたものではなく、クワイ河橋架橋に連合軍捕虜が多数使われたという事実にヒントを得て作られた全くのフィクションである。「戦場にかける橋」の考証をするのは、「水戸黄門」の考証をするのと同じことなのだ。

実物のクワイ河橋を見ると、あきれるほど立派である。戦時中の70年前にこんな所に作られたものとは信じ難い。「永久橋」という名が示すように、日本はこの鉄橋、延いてはタイとビルマを結ぶ「泰緬鉄道」を永く幹線として使おうとしたのだ。

 

現在のクワイ河橋の位置づけ

それでは現在のクワイ河橋はどういう風に扱われているかというと、はっきり言ってただの観光資源である。この橋を含めた泰緬鉄道の突貫工事により多数の死者が出たのは事実で、近くには広大な戦没者墓地もあるし日本軍が建てた立派な慰霊碑もある。こんな田舎、本来なら慰霊の人か私のような戦史好きがたまに訪れるだけの場所である。(事実戦没者墓地はガラガラで、慰霊碑は貸し切り状態だった。)ところが「戦場にかける橋」のヒットでクワイ河橋が世界的に有名になってしまった。地元の人にとっては史実よりも「戦場にかける橋で有名な・・・」と言い切って観光客を集めるのが肝要になってしまったのだ。

かくして橋一帯は大観光地と化している。映画の影響で白人率が異常に高い。以下の写真でテーマパーク的な雰囲気がわかって頂けると思う。

 

橋のたもとにある駅の名はRIVER KWAI BRIDGE。 本来この駅自体が無かったはず。

 

駅周辺には観光客相手の露店がひしめく。

 

World War II のオブジェが。

 

これがクワイ河橋。前には何とも言えない爆弾が鎮座。

 

本来鉄道橋だが、観光用に徒歩で渡河可能。(事故があってもタイ国鉄は責任をとりません。)

 

敷き詰められた鉄板や左右の柵は徒歩渡河の安全確保のため後からつけられたもの。

 

参考までに1980年頃の状態。(出典ページ) 転落し放題。

 

鉄道の本便は日に2~3往復しかない。間は観光用トロッコ列車が橋を往復する。

 

トロッコ列車の運賃はたったの20バーツ(60円くらい)。

 

爆弾をすり抜け鉄橋へ。

 

橋には歩行者用の待避所が何カ所もある。

 

橋の下には水上レストランが浮かぶ。

 

橋を見ながら食事。(意外に料理のレベルは高かった。)

 

一部客席は切り離されて河面を遊覧。なかなかの仕掛けだ。

 

観光客は何を思う?

正直な疑問だが、観光客はこの場所をどう理解しているのだろうか?私のような戦史好きは日本軍の遺構であるクワイ河橋を見るだけで満足である。しかし普通の観光客は映画「戦場にかける橋」の地として訪れているはず。こんな映画とはかけはなれた橋を見せられれば、「だまされた」という不平も出るだろう。それなのに皆にこにこしながら橋を渡ったり写真を撮ったりしている。

・・・・ひょっとして皆映画を観ていないのではないだろうか?

ましてや映画以上に悲惨を極めた泰緬鉄道の敷設などには何の興味もないのだろう。

私は橋を見た後日本軍の作った慰霊塔を訪れた。橋からすぐの場所にあるにもかかわらず私以外誰もおらず、それまでの喧噪がうそのように静かだった。

 

日本軍鉄道隊による慰霊碑

 

捕虜よりも南方各国労務者の方が多く亡くなったのである。

 

ここクワイ河橋は、現実と虚構が入り乱れながら不思議なバランスを保っている夢のような場所だ。行き交う人も舞台上の役者のように見える。南国の暑さと原色がそうさせているのかもしれない。

 

 

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