たかが物差し、されど・・・・

 

竹尺を作ってみました

今回紹介するのは私が買ったものでなく作ったものである。

ノベルティグッズというものがある。企業が関係者や顧客に配るロゴ(社名)入りグッズで、平たく言えば「おまけ」である。90年代に中国あたりがタダ同然の価格でノベルティグッズを作り始めるとロゴ入りの文具等が世の中に溢れた。しかし粗悪品が多かったことは事実で、人々は「すぐ書けなくなるボールペンなどタダでも要らない」と思うようになった。企業側も喜ばれない物をただばらまいても意味がないと考えるようになり、最近ではそこそこ価値があるものを特定の人に渡すというスタイルにシフトしてきた。

さて下図の竹尺は元々は安原製作所が取引先向けに作ったノベルティグッズである。不特定多数の人にばらまくものではないので、私本人が欲しくなるようなレベルのものを企画した。案の定「販売して欲しい」という声があがり製品化したのである。カメラメーカーである私はもちろん竹尺の製造などできず担当したのはデザイン指定のみ。実際に製造したのは滋賀県にある竹尺メーカー。純国産の竹尺はもうここでしか作っていない。出来がいいのはこの竹尺メーカーの技術力と製造担当者のまじめさ故である。

 

 

竹尺の測定精度は高いのか?

物差しは我々が一番始めに触れる「測定器」である。仕事柄測定器にこだわりのある私は、物差しだってできれば納得のできるものを使いたい。

さて、「竹はプラスチックと違って温度で伸び縮みしないので、竹尺は長さを正確に測れる」という話を聞いたことはないだろうか?私は小学生の頃先生からそう聞いた。私以外にもそう聞いたという人が多数いるので、全国的に流布されていることなのだろう。子供の頃なら先生の言うことには肯くしかないのだが、理系の大学を出ていい大人になった今、改めてこの「伝説」を検証してみよう。

一般に物質は温度で伸び縮みする。1度あたりの変化量を表したものが(熱)膨張率だ。膨張率は線膨張率と体積膨張率があるが、物差しで測る「長さ」は一次元なので線膨張率で考えれば良い(下注1)。

物差しに使われる各材質の線膨張率は

 

  材質 線膨張率(1度当たり)  
  プラスチック(アクリル) 0.00005~0.00009  
  アルミニウム 0.000023  
  ステンレス(SUS304) 0.000017  
  木材(繊維方向) 0.000005~0.000007  

 

といったところ。竹のデータは見つからなかったので木材(繊維方向)のデータを代用する。なるほど、プラスチックは竹(木材)に比べて10倍ほど線膨張率が大きい。これを見て誰かが「プラスチックの物差しは温度で伸び縮みするので精度が悪い」と言い出したのだろう。

 

極めて幼稚で素人くさい発想である。

 

ちゃんと科学の勉強をしていない人がデータを扱うとすぐこんなことを言い出す。それを自分で考える力がない人が「なるほど」と広めてしまう。「竹尺は温度で伸び縮みしないので長さを正確に測れる」という考えには

 

測定する物体の伸び縮みが考慮されていない。

 

もう私が言っていることがおわかりだと思う。物差しの温度が変わるということは測定する物体の温度も変わるわけだ。測定する物体は多種多様で、熱膨張率も様々。物差しの熱膨張率だけを論じて何の意味があるのだ?測定する物体がプラスチック製なら、プラスチック物差しが最も安定して(「正確に」ではないことに注目)測れるということになる。

実際、自動車のエンジンのように大きくて温度変化の大きいものはミリ単位で膨張・収縮する。長さを正確に測ることなどできないのだ。物の長さを正確に測るには

 

測定条件(この場合温度)を決める

 

ことが必要なのだ。理学や工学(特に実験系)を修めたものならば当然わかっていることだが、測定データには必ず測定条件(環境)を付けなければならない。小学校の先生にそれがわかっている人は少ないのである。上から目線で申し訳ないですが。

例えば温度20度の条件で物を測るとしよう。この場合、20度の条件で正確であると保証されている物差しを使えば良いのである。物差しの材質や膨張率など何の関係もない。

 

温度以外の条件は?

竹材(木材)は湿度によって膨張・収縮する。金属やプラスチックは湿度に対してはほぼ影響されない。そのことについて考えない(考える能力がない)人が「竹尺は温度で・・・」なんて言うのですよ。

そもそも竹材は天然素材だから形状に歪みがある。測定器としての正確さは期待できないのだ。JISの直尺規格(下注2)はステンレス製に対してのみ存在する。総合的に考えてステンレス材がベストだからだ。竹尺がベストならそれが規格になっている筈でしょ?

 

温度による物差しの変化

物差しの熱膨張(収縮)だけにこだわっても大した意味がないことは述べた。しかし参考までに温度でどのぐらい変化するのかを考えてみよう。上表にある材質ではプラスチックの熱膨張率が一番大きく、これを大きめに見積もって0.0001とする。30cm(300mm)のプラスチック物差しの全長は1度変化する毎に0.03mm変わるということになる。我々の測定環境は20度を基準として±10度といったところだろう。つまり±0.3mm程度の全長変化が想定される。0.3mmは目視できるが、物差しとして問題になるほどではない。しかもそれは30cmに対する変化であり、10cmの物を測る場合は±0.1mm程度の変化である。はっきり言おう。

 

これに何の不都合がある?

 

温度に対する変化が大きいと言われるプラスチック製物差しでもこれだけの測定誤差しかないのだ。物差しは目盛りを直接読み取るシンプルな測定器だ。1mm程度の精度で測るためのものであり、それ以上の精度が必要ならば他にいくらでも測定手段はある。

ちなみに市販されている事務用のプラスチック物差しは30cmに対し1mm程度のバラツキはざらである。これは温度による狂いではなく、単に目盛りの印刷精度が低いのである。事務用途ではそれで十分なのでそう作ってあるというだけのことだ。

私の結論は、物差しの材質など精度の観点からは何でも良いということだ。

 

こんな伝説まで・・・・

洋裁をやっている人が「竹尺は温度で・・・」と主張していたと聞いた。この人は1mm以下の精度で布の縫製ができるのだろうか?和裁・洋裁で竹尺が好まれるのは、布当たりが良いとか静電気が起きないとか、そういう利点からではないのか?まあ私は和裁も洋裁もやらないただの門外漢ですが。

某「知恵袋」にこんな投稿があった。(あえて元記事へのリンクは載せません。)

 

 

誰から聞いた?そして宇宙とは何だ?・・・・・・・と真顔で言うとこちらの負けなんだろうなあ。「宇宙に行った」というのは昔からよい宣伝文句だ。宇宙に行ったカメラとか、宇宙に行った時計とか。「宇宙=科学の粋」とイメージする人がいる限りこういう「科学っぽい伝説」はなくならない。

 

やはり竹尺は良い

竹尺を作った私がなぜ竹尺を手放しに褒めないのかと言えば、妙な勘違いをされたら嫌だからだ。私は小学校の時先生に聞いたことを真に受けて「精度の良い物差しを作りました」と言っているわけではない。

じゃあなぜ竹尺かって?使って心地よいからですよ。軽くて、手触りが良くて、いい匂いがするから。こういったことが重要だとは小学校の先生は教えてくれなかった。貴方も一本「大人の竹尺」はどうですか?

 

 

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注1: 体積膨張率は線膨張率から簡単に計算できる。例えば水銀の線膨張率は0.00006なので、温度が1度上昇すると長さは1.00006倍になる。体積はその3乗なので1.00018倍となり、体積膨張率は0.00018ということになる。

注2: 工業用の物差し(直尺)はステンレス製で、「JIS 1級」と表示されている物が多い。(私はそれ以外の物は見たことがない。)この規格は以下の通り。

 

参照元はこちら

 

材質も指定してあり、基準温度も20°と定めてあることに注目。30cm(500mm以下)直尺の許容差は±0.15mmである。物差しの精度はJIS 1級でもこの程度。私はJIS 1級以上の規格を知らないし、多分そんなものはない。