あの日の冴島奈緒

 

写真は思い出を残すもの

私が「カメラやレンズを作っています」と言うと、「では写真の撮り方を教えて下さい」と言われることがままある。「いや、カメラ技術者とカメラマンは全く別物ですから・・・私は映像作家なので動画作品は作りますが、写真はスナップを撮る程度なのですよ」といつも答えることにしている。

スナップ写真というのは思い出を残すためのものだ。見たものなんかはそのうち忘れてしまうし、見たもの自体が無くなってしまったということもよくある。スナップ撮りとはそんな当たり前でどうしようもないことに少しだけ抗おうとする行為だと私は考えている。

デジカメ時代となる以前から私は常にカメラを持ち歩いている。フィルムの写真を年に2,000枚以上撮っていたこともあるので、まあ写真を撮る方の人間だと言って良いだろう。

さて、先日偶然こんなページを見つけた。半分忘れていた思い出がそこにあった。

 

 

元ページはこちら

 

 

 

冴島奈緒をご存知ない方は検索を。このブログは彼女のファンページらしい。いわゆる「放置ページ」なのでそのうち消えてしまうだろう。

この写真は彼女の公式ページsaejima.comから転載されたものだ。わざわざ撮影者(Shin Yasuhara、つまり私)まで転載している。彼女にドメインsaejima.comをプレゼントしたのは実は私だった。今はその公式ページはなく、ドメインは転売ヤーの手に落ち2395ドルで売りにだされている

なぜそうなったかというと、彼女はもう死んでしまったからだ。

いくつか昔の写真を掘り出してみた。

 

 

2002年頃、安原製作所を訪れた冴島奈緒(闖入ではない)

 

この安原製作所はフィルムカメラを作っていた「第1期」の頃。後ろの棚には「一式」やその部品が積まれている。今ではこのビルは取り壊されて高層マンションに変わっている、昔の安原製作所内部を知ることが出来る結構貴重な写真である。

 

 

2000年頃、打ち合わせ中

 

 

安原製作所は1998年に創業した時点から映像プロダクションでもある。この頃彼女を使って作品を撮ろうと算段していたわけだが、その計画は結局流れてしまった。なぜ机の上に京セラ・SlimT(ツアイスレンズを搭載したフィルムコンパクトカメラ)の化粧箱が置いてあるのかは、今となっては思い出せない。

 

 

突然の撮影会

さて、冒頭の写真である。あれは私が彼女に会って間もない1997年頃、当時新宿駅西口の地下はホームレスの住むダンボール街と化していた。すえた臭いが充満し、普通の女なら避けて通る場所だった。冴島奈緒はそこに差し掛かると急にはしゃぎだし、ポーズをとり始めた。

彼女は写真を撮られるためにこんな衣装を用意してきたわけではない。これが普段着である。車の免許は持っておらず、この身なりで電車・徒歩移動するわけだからとにかく目立った。「アルファロメオに乗る」と言い出し教習所に通い始めたが、いつのまにかやめていたことを思い出した。

突然の撮影会である。モデルとカメラマン以外誰も知らない秘密の撮影会だ。さすがにこれはスナップ写真とは言えない。被写体はプロだし、私もそれを意識して撮っているから。

 

 

 

 

今まで生きてきて何度か「こんなこと、めったにないよな」「こんなこと、ずっと続く筈ないよな」と思う瞬間があった。これは明らかにその一つ。

この数ヶ月後だったと思う。ダンボール街で火災が発生し人が死んだ。ホームレスはここから閉めだされてロープが張られた。その何年か後にここはガラス戸に囲まれたイベントスペースになった。

私はこの時密かにン十年後の彼女の姿を想像していた。少し意地悪な想像であったが、当たり外れの決着はつかなかった。冴島奈緒は私に何の断りもなくこの世から消えてしまった。私は癌で弱った彼女は見ていない。私の思い出には、ツンツンした顔立ちで人懐っこく笑う、キレイな冴島奈緒しかいない。

残ったのは老いていく自分だけだ。彼女はどこかで見てまた笑っているだろうか。

 

このページの写真はすべてフィルムカメラによるものだ。色々な「消えていったもの」がここに集まっている。

 

写真は思い出を残すもの。

 

 

 

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